映画『空白』
【キャスト】 古田新太 松坂桃李 藤原季節 寺島しのぶ
【スタッフ】 監督・脚本:吉田恵輔 企画・製作・EP:河村光庸
目次
あらすじ
ある日突然、まだ中学生の少女が死んでしまった。スーパーで万引きしようとしたところを店長に見つかり、追いかけられた末に車に轢かれたというのだ。娘のことなど無関心だった少女の父親は、せめて彼女の無実を証明しようと、店長を激しく追及するうちに、その姿も言動も恐るべきモンスターと化し、関係する人々全員を追い詰めていく。
出典:映画『空白』公式サイトより
筆者の感想【ネタバレあり】
モンスター
予告やあらすじを見ると、善良な父親・添田充(古田新太)が娘の交通事故死はスーパーの店長・青柳直人(松坂桃李)に万引きを疑われ追いかけられたせいだと決めつけ、青柳を日々問い詰めているうちに次第に凶暴なモンスターへ変貌していく物語だと思わされます。
しかし冒頭から充は元々クレーマー気質で娘に対しても無理解・無関心なダメな父親として登場。
青柳に対する嫌がらせは確かに常軌を逸しているところもありますが、実社会でも所謂モンスタークレーマーなら「これくらいのことはやるだろう」と思われることばかりです。
常に自分が正しく、他人の意見や主張を聞き入れることもしない。
こういう人間に真実を理解させるのはとても難しい。「娘の花音(伊東蒼)が万引きなどするわけがない」という思い込みが事態をさらにややこしくする。
また青柳のスーパーに勤務する草加部麻子(寺島しのぶ)も青柳のことを常に気遣う「善人」として登場しますが、実は自分の価値観を他人に押し付けるタイプの「モンスター」だったりします。そして麻子のような人間も実社会には存在しています。
「想像を絶する」モンスターではなく「こういう人、我々の周りにも居るよね」というモンスター。
いつしか「自分の身にもこういうことが起きるかも」と不安な気持ちにさせられるのでした。
被害者・加害者
充の娘・花音を轢いてしまった女性(野村麻純)が母親(片岡礼子)と共に充宅に弔問に訪れますが、充は取り合おうとしません。
いくら訪ねても充の許しをもらえず、罪悪感に苦しめられた挙句に女性は自殺。
ここで充は意図せずして「加害者」の立場になってしまいます。それはまるで青柳の場合と同じ。
この事件を契機に頑なだった充の心に変化が生じ、青柳を「赦す」気持ちが芽生えてくるのです。
充のようなタイプの人間はどうやっても他人の言動を理解できないと思っていたので最後をどのように締め括るのか想像もつきませんでしたが、この展開は無理がなく非常に説得力がありました。
救いのあるラスト
青柳のスーパーは騒動の影響で廃業しなければならなくなります。
廃業後、生活のため道路の誘導員をしていた青柳にたまたま通りかかったスーパーの常連客が
「あのスーパーの唐揚げ弁当、美味かったなぁ。また作ってくださいよ」
と声をかけ去っていく。その言葉を噛み締めるようにほほ笑む青柳。
おそらく青柳は父の死でたまたまスーパーを受け継いだだけで、スーパーに対する愛着も無いし客がどれだけスーパーを必要としていたのかも分かっていなかったのでしょう。
成り行きでスーパーの店長に収まり、自分がそのスーパーを潰してしまった。店長として過ごした日々は青柳の人生にとって「空白」そのものだと思っていたに違いありません。
ところが思いがけず常連客からスーパーの存在意義を聞かされる。
最後の青柳の微笑は自分の人生に「空白」などなかったんだという嬉しさであり安堵だったのかもしれません。
充もまた娘・花音と十分なコミュニケーションを取っていなかったため、娘との間には「空白」がありました。
娘のことを理解しようと花音と同じように絵を描いてみたりもしますが「向いてない」と途中で挫折。
中学校の担任から花音の絵を返却された充の目は、ある一枚の絵に釘付けになります。
その絵は充が描いた絵と構図も題材も全く同じものでした。
父と娘は違う場所で同じ風景を見て同じように感じ同じように表現していたのです。
言葉を十分に交わさなくとも父と娘の間には「空白」などない。つながっている。
そう思わせるラストでした。
吉田恵輔監督
吉田恵輔監督作品では『ヒメアノ~ル』を観たことがあります。
快楽殺人鬼役・森田剛のジャニーズらしからぬ役どころと怪演が衝撃的でした。
『ヒメアノ~ル』は古谷実の漫画が原作で、映画の脚本は『空白』同様に吉田監督自身が執筆しています。そもそも吉田監督作品はほぼ全て脚本もご自身で書いているようですね。
『空白』も『ヒメアノ~ル』もとても面白かったので、吉田監督の他の作品『BLUE/ブルー』や『犬猿』などもいつか鑑賞してみたいです。
(注:吉田恵輔監督の「吉」は正しくは土に口ですが、環境依存文字のため「吉田」と表記しています。)